竹の寺おくりさんからあなたに贈る 「心に響く禅のことば」op.2

2019-06-03

竹有上下節(竹(たけ)に上下(じょうげ)の節(ふし)有り(あり))

この言葉は松無古今色(松に古今の色無し)と続きます。竹の節がそうであるように、上下の差は歴然とある。しかし、一方で、松の葉がいつ芽生えたものも同じく緑色であるように、人はみな差別なく平等である。

一見、反対の事を並べているようなこの言葉は、私たちに、物事を見る目を持ちなさいと教えてくれています。差別と平等は、私たち皆が抱える課題です。人はみな平等であるべきですが、ひとくくりに人と言っても、お年寄りから赤ちゃんまでの年齢差があり、男女の差もあります。男であるか女であるか、身体と心が違う人もいます。全ての人に対して、平等なのだからと、全く同じ物差しで良し悪しを述べることや、同じ仕事を課すことは、平等でないばかりか、それはいじめであり、差別です。杓子定規ではなく、その人に合った接し方をしてこその平等ではないでしょうか。法律は大きなくくりでしか決めることができません。ですから、法に触れてないから良いのではなく、法には書き切れない所を、ひとりひとりの心の寛大さと優しさでカバーしていかねばなりません。そしてまた、権利の主張ばかりしないという自分自身への厳しさ、「自らを律する」ことができるように努力するべきでしょう。

お年寄りは、今までできていたことがひとつずつできなくなっていきます。でもこれまで長く人生を生き抜いてこられた経験値は、若輩には到底及ばぬことで、敬意を持った上で、困っておられることのお手助けをして差し上げるべきでしょう。一方お年寄りは、現役時代、如何に社会的地位の高い人であったとしても、いま現在助けてくださる人に敬意を持つべきでしょう。双方ともに、ポイントは敬意を持つことです。見下して、いっけん優しげな言葉をかけてやるというのでは、まったく相手は嬉しくなく、悲しい気持ちになるばかりです。

子どもは、ひとつひとつできるようになりますが、その過程は一人一人違うのです。その子に合った方法で教え導いていくのが本当の教育です。子どもは人生経験がありませんから、それを知っている大人に敬意を持つべきですし、人生の先輩たる年長者に敬意を表すための言葉遣いや態度を教えるのは大人の役目です。優しさと甘やかしは別の物ですし、しつけと虐待はまったく違うものです。

年齢によらず、個々に能力差があるのはどうしようもなく、生物としてはあたりまえで、しかたありません。大切なことは、今、自分にある能力は最大限に使って一生懸命に生きることです。誰しも、どんなに努力してもできないことはあります。それを馬鹿にすることが最もいけない差別です。己を正しく知れば、だれも他人の事を馬鹿にすることはできません。

己を知る。一生懸命に生きる。他人に敬意を持つ。この3つを実行するのは決して簡単なことではありません。みなさんも、私も、さあ、きょうから、修行いたしましょう。

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