地蔵院での御朱印について

2017-12-18

寺における御朱印は、もとは、写経された方が寺に納めに参られた折に、その受け取りの証としてお渡ししていたものです。よく仏様の御教えを噛みしめながら修行なさいましたね、というような意味合いをこめて。

当院は、門前に注意書きをしており、仏様に敬意を表さず、ただ観光目的のみの方の御入山をお断りしています。しかし、実際には注意書きを読まずに入られる方も少なくはなく、本堂前で手を合わせたり低頭すらなさらぬ方も、写真のみの目的で境内を荒らす方も、どんどん入って来られます。そして、昨今の御朱印ブームは、寺の者には驚きしかなく、押し寄せる御朱印希望者に、ただただ終日御朱印書きに追われてしまうこともしばしばです。しかし、たとえ、コレクションのためであっても、それをきっかけに、お寺参りをし、信心に目覚めてくださればと、がんばって対応してまいりました。ところが、ここへきて、ご自身で集めたものではない他人様の集められた御朱印帳を持って帰ってしまうという案件が発生し、思いの詰まった御朱印帳を失くされた方に心を切り裂かれる思いをさせてしまうことになってしまいました。性善説に基づいたのんびりしすぎた寺の完全な失敗です。(幸いなことに、その後持ち帰った方はご改心下さり、お返しくださいました。)

禅寺では、そもそも、モノや物事に執着してはいけませんと説いており、執着心を如何に捨てられるかが、禅の核心といえます。御朱印帳は、たくさんの寺にお参りしながら、心を鎮め、執着心を捨て、身も心も軽くなって元気を取り戻していただくツールとしてお使いいただきたいのです。しかしながら、昨今ネットで話題にもなりましたが、たくさん集められた御朱印でお金儲けを企む人が現れる、また或いは、この朱印帳が集まれば集まるほどに、執着心が生まれ、それを失くした時には深い悲しみとともに、怒り・恨みという心が発生し、心が軽くなるどころかドロドロの煩悩の闇に突き落とされてしまうという、恐ろしい魔のツールと化しているということに、今更ながら気付いた次第です。

これでは本末転倒も良いところで、危機管理を強化すれば良いというだけの問題ではないと痛感しました。地蔵院では、寺として、執着心を煽ることはできません。このようなことになる御朱印対応を止めることに致しました。

ただ、突然の決定なので、当面(だいたい来春くらいまで)は、移行のための猶予期間として、書き置きの御朱印をお渡しいたします。直接、御朱印帳に書くことを希望される方は、対応時間をお抹茶の予定と同じ扱いと致します。その際は、できるかぎり、ご自身で書かれたお写経をお持ちになってお納めください。

そして、代わる新たな措置として、写経会を開催し御朱印の授与日と致します。読経やお写経が条件で、御朱印を集めるだけの方には、いっさい授与できなくなります。追って当HPにて予定表をアップいたします。

抹茶もそうですが、禅の入口への助けになるようにと願う当方の心とは裏腹な結果となり、寂しいことです。拝観そのものも今一度考え直す時期に来たと考えますが、完全に門を閉ざすことなく、できるだけ、ご信心のみなさまへの扉を開けるようにいたしますので、なにとぞご理解ください。

 

 

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